夜はN+M家で夕食。そのあと、使徒言行録の動画。喋るの早すぎるぜー。名前多いし。というか、それを別にしてもここは、結構難しい箇所のような気がする。じっくり読み返さないとダメだな。
N+M宅に商人が通ってきている。「僕達は興味ありませんから」と一言言って追い返すことも可能であるが、この宣教師夫妻はそうしない。商人はいつも2人一組で行動する。夫妻宅に訪れた2人のうちの1人は日本人だった。夫妻はこの日本人のことを案じているのだ。彼らとのディスカッションの中で、この日本人が気付いてくれることを願っている。
初めてこの日本人が宣教師宅に来た時、僕もたまたまそこにいた。といっても隣の台所で待機していたのだが。帰りがけ、この日本人は夫妻に対し、「2人で同じものを信じているなんて素敵なことですね〜」と、ちょっとズレた事を言って帰っていった。この台詞を聞いた時点で僕は、「あ、この人まだ戻ってこれるな」と思ったものだ。ぶっちゃけて言うと、この日本人はまだ何もわかっちゃいない。そんな僕も何もわかっちゃいないんだけどね。
商人に対する伝道の本をNさんが持っており、目次だけぱらぱらとめくってみた。商人はクリスチャンに対して、このようなつっこみをしてくるとあり、そこには揚げ足取りばかりが書いてある。しかし、それじゃあその揚げ足取りに対し、僕は的確な答えを出すことが出来るかと言ったら、間違いなくできないだろう。というか、そこであまり話に乗ってはいけないらしいのだが。
その揚げ足取りを見て、僕は自分が如何に解っていないかに改めて気付かされた。というか、僕はクリスチャンになる前、この商人と同じようなことを言っていた。聖書なんて取り方によってはいくらでも突っ込めるのだ。でもそういう取り方をする時点で聖書というものを勘違いしているのだが。別に突っ込んだところで何も変わらない。
聖書が本当に言いたいことを、もっと踏み込んで経験しなくてはならない。人間なんて弱いものだ。聖書を読まなくても一見何も変わらない。読んでいないことにさえ気付かない生き物なのだ(これは僕の話ね。なんて信仰が弱いんだろうと思う)。
僕はこの前、自分はなんて神様から遠いのだろうと書いたはずだ。そして、ここでまた同じことを書いている。