05.10.04

T誕生日。

 夜、Nさんちでfesta。今日はT君の誕生日festa。ちらし寿司に、フライドチキンに、ポテトサラダに、ワカメスープに、サラダ。豪華だ。旨いねぇ、旨い。腹一杯食ったね。T君、おめでとう。

 これは僕自身、勘違いしていた箇所なのだが、聖書の有名な言葉で、「目には目を、歯には歯を」という言葉がある。これ、一見、かなり攻撃的な言葉である。目を潰されたら相手の目を潰し返してやれ、歯を折られたら、相手の歯も折ってやれ、という風に理解をしている人がほとんどではないだろうか。僕もそのように理解していた。というか、その捉え方は間違ってはいない。
 ただ、この言葉には隠された意味がある。目を潰されたら、あなたも目を潰すだけに止めなさいという、抑止の意味が込められているのだ。Nさんの言う通りだと思ったのだが、喧嘩などで殴られると、それ以上の力でやり返すというのが普通である。今回の戦争もそうだ。100倍なんてもんじゃない返しである。それを、聖書では抑制している。
 ○ッシュは、「我々には神がついている」なんて言って民衆を流しているが、まあそれは結局自分の都合なんだと思う。○セインだってそれは同じだ。神を都合の良いように扱っている。なぜなら、自分が神だと思ってしまっているから。瓶・○ディンはちょっと違うような気もするけど。
 こういう時、聖書って便利なのだ。いろんな意味で取れる言葉が溢れている。結局、聖書に書いてあることをどう捉えるかは人それぞれであり、戦争を支持するために利用するような奴もいる。なんだか、神はそんなことをわかっていてこのような言葉をワザと使ったような気さえする。そして、今世界はこういうことになっている。これ自体、神の僕らに対するメッセージなのではないか。結果がどうなるかは、神のみぞ知る。彼のイメージは僕らの想像を遙かに超えて巨大なのだ。

 人間に、完全を求める神。神のようになれたら凄いよな。っていうか、そんなの無理に決まってるじゃんと思う人がほとんどだろう。しかし神はそれを要求する。この、愚かな人間を腐るほど見ている神自身、無理だろうけど、って思っているかもしれない。だけど、それを要求しているのだ。興味も愛もない対象には、そんなことは要求しない。
 それは人間同士でも同じことだ。興味もなく、少しの愛もない相手には、何も期待しないし、何も要求しない。

 「来られるか来られないか」ではない。そんなの自分の意志次第だろう。「来るか、来ないか」だ。言い訳なんぞしたって意味もないし、聞きたくもない。

投稿者 tomo : 05.10.04 23:05 | トラックバック